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8月11日は、東松島市矢本の仮設住宅へ行きました。東松島は大変な津波の被害がありましたが、矢本はその高台で、仮設が建てられたのは工業団地用地です。ということは?緑もなく、下は砂利。そうです。日本中が最高気温で沸騰していたこの日の矢本は、それはそれは暑かった!そして今はさぞかし寒くなったのでは、とも心配するわけです。
さてここでのメインは、書道家の表札書きです。山田麻子さんの地元の友人大工さんが、檜の残材から、ちょっと大きめの表札板を作ってくれたとのことで、それを携えての訪問です。仮設住宅にお住まいの皆さんは、仮住まいゆえ、表札を出すなど考えてもいなかったようで、出足はぼちぼち。でも、だんだん集会所の前に乾かすための表札が並ぶと、次々暑い中、皆さん集まってくださいました。最後はトンカチを持って玄関に設置までしてきました。
住まいも家財も流されて、でも「名前」だけは残った。どなたかがおっしゃったそうです。
「表札、もったいない、仮住まいじゃなくて、家をまた建ててからつける」、と家の中にしまってしまわれた方、「昼間でかけてて、帰ってきたら周りがみんな表札ついてたんだけど、うちもほしいんだよ」とキャラバンが上野に帰着したタイミングで電話をかけてくださった方(後日お送りしました)。名前、表札に対する思い、改めて感じました。あわせて、前日の児童館での「遊びま書」ワークショップでも、子どもたちが自分や兄弟の名前や苗字を一生懸命書いていたことも、感慨深く思い出されました。
この集会所では、整体、アロマハンドマッサージと、お子さんには絵本の読み聞かせや簡単なお遊びもしました。初日の鳴子温泉、古川のあそびうたグループ「じゃいあんとパパ」、2日目の大曲浜保育所の夕涼み会でも、同様にやってきました。今回は特に、保育士さんや、避難所、仮設住宅でのお世話係の方達に、整体、マッサージを受けていただけたことが、よかったと思います。こうした立場のかたたちは、子どもやお年寄りのケアを優先して、自分は度外視、ということが多く、それだけに、からだに疲れがたまっていらっしゃいます。1対1のアロマタイムは、短い時間でも、口を緩めてくださる機会になるので、いろいろなお話も聞かせていただきました。多くの方が、自分自身、家族含め被災しながら、それでも他の人のために働いている。しかも、私たちを倍以上の笑顔で迎え、むしろ大変に気遣ってくださいました。さらに、東京から行くだけでは足りない、と地元仙台、大崎の方にお声がけをしたところ、快くワークショップやアロママッサージのお手伝いに駆けつけてくださった方達もいます。自分はさほどの被害ではないから、と被害のひどかったところへの心配り、援助を忘れず、継続されています。本当に皆さんありがとうございました。
町が整い、表面的には復興したように見えても、人の心やからだに大きな衝撃を遺した震災。真の復興には、まだまだ多くの困難があるかと思います。だからこそ、1回、1年したからいい、ということでなく、長く継続的に、支援をしていかなければいけない。そうした思いを強くして、宮城を後にしました。
でんでらキャラバンは、これからもまた、幾度となく東北を訪問します。
次の日、8月10日は、大崎の鹿島台児童館での「書」のワークショップ。
子どもたちに書道をしてもらうのです。といっても、書道家・山田麻子さんがかねてから各地、海外でも行っている「遊びま書」というもの。当日は児童館の子ども、1年生から4年生48人。まず、児童館から外に出て、石を拾い雑草を引き抜いてきます。石を文鎮に、雑草を筆にして墨汁をたっぷりつけ、畳半畳ほどの大きな半紙に「文字」を書きます。この文字、というのがやはりかぎですね。棒でも何でもいいというのではないんです。みんな最初おずおずと、でも2枚目くらいから相当大胆になってきます。もちろん、草だけでなくて、手や足を使ってもいいのですから、館内は相当にヒートアップ。この頃の気温、覚えていますか?はい、日々最高気温が更新されていたときです。最後は畳1畳もの大きな半紙に挑戦しました。
麻子先生のお手本。石の文鎮、根っこの筆。なにより、はだしで半紙にまたがる!
さあ、果たしてその作品は?!
太い線、真っ黒な半紙の子。ほそくて小さな字だけど、勢いがある子。個性がいろいろに花開きます。選んだ文字、言葉も、様々です。自分の名前、兄弟の名前。家族、思い、夢・・・。
戦い済んで・・・。半紙もシートも大人もこどもも、真っ黒です!
「遊びま書」は書、というより、こころとからだのワークショップでした。子どもたちは、震災以降、多くを語らず、できるだけ普通どおりに暮らしていたのだと思います。大人たちに心配かけまいと、むしろ遠慮したり、ちょっとおとなしく。でもこの日は違います。自分ひとりの世界なんだけど、思いっきり身体も動かし、頭も使い、自分で自分を解放していっていたようです。もちろんひとりひとり個性があるので、声もアクションも大きな子から、ジーっと黙って黙々と作業する子から、様々です。字も大きい小さい、太い細い、それぞれです。でも、お互いを干渉したり、遠慮しあったりしていない様子からは、むしろとても子どもらしい真の明るさを感じました。
すごいワークだな、と思いました。青いビニールシートやら半紙やらを大量に持ってきて、なにより、自分が率先してまっくろになってみんなとコミュニケーションした麻子先生!終わって片付けているときに、ワーク中一番おとなしかった女の子が、麻子先生・・・といって抱っこされにやってきました。これもからだとからだのふれあい。アートの力を、また違う形で知った瞬間でした。 (またまた続く)
去る、ほんとに去ってしまいましたが、8月9から11日、でんでらキャラバンの「月組」が宮城県の被災地を回りました。あした花咲くネットの京ヶ島も一員として参加してきました。
5月のでんでらは、おおたか静流さん、大友剛さん、という音楽家集団、かつ、テレビでもおなじみの”スター!”ですので、「星組」です。
でも今回は「からだ隊」。整体師、アロマセラピスト(わたし)、子どもとお遊びスペシャリスト、そして書道家の女性4名。ん?なぜ書道でからだ?それはのちほど。でも、スター軍団ではありませんし、ひっそりと回る私たちにふさわしい月組の名。時折りしも14日の満月に向かうときでもありましたので、大きなもう少しでまあるくなる月の下を回ってきた、ということです。
前置きはさておき。実際の現地でのことを書きます。
初日は鳴子温泉の仙庄館という温泉ホテルでの活動です。ここは、町ごとすべてが流されたことでいまや全国知らない人はいない「南三陸町」の方たちの避難先です。会議室とも宴会場とも言えるお部屋をひとつくださって、アロマや整体できますよ~と声をかけていただきました。最初少しずつ覗いていらっしゃったのですが、やった方がよかったよ~と他の方に伝えてくださり。結局予定を1時間ほどオーバーしてやらせていただきました。
海の町の人達が、町がなくなってしまったので、山の中で生活しています。
そのことだけで衝撃でした。私も海を見て暮らしてますが、明日家に帰れないで、山の中での生活が待っているとしたら。想像ができません。
でも、私のそこでの任務は、手と手を触れるハンドマッサージ。1対1で、小学生からおじいちゃんおばあちゃんまで手を握っていれば、それはそれはたくさんのお話が繰り広げられました。
おばあちゃんに、指輪はずしてここにおいて、オイルでマッサージするから、と言ったら、「みーんな流されたから、そのときしてたこれしか残ってないんだ、指輪。いーっぱいもってたんだ。お父さんに買ってもらったもんばかりだけどね。たーくさんあった着物も宝石も、これは誰にあげようって考えてたのに、なーんもなくなっちゃったよ。」
ここは、避難所です。でも、温泉があって、3食旅館の美味しいお食事が出てきます。ここのおかみさんがいいひとなんだよー、ほんとにありがたいよ。と、皆さん口を揃えておっしゃっていました。
でもここは避難所です。私たちが行ったときはすでに仮設住宅が決まって半数近くが出られたあとでした。私たちが行った翌日には、また多くの方が仮設住宅に移動するとのことでした。避難所というところはずっと住むところではありません。でもこれまで知らなかった人とひとつのコミュニティを作りますが、時間経過でまた別れが訪れます。それでもここでの交流で、穏やかな毎日を少しずつでも取り戻したことでしょう。そして、次に行くところは仮設住宅です。またそこでもコミュニティができますが、またみなばらばらになる日が来ます。町が流された人達は、これから何年も居場所を定められずに、移動し続ければならないのですね。
でも、辛い現実を忘れさせるような鳴子ののどかな風景と、そこの本当にあたたかな人の力は、南三陸の方たちの心を癒したことと思います。なにしろ、東京から行った私たちでさえ、心温かく癒されてしまった鳴子温泉なのですから。
8月、昔の話、とお思いでしょうか?でも、これまで文字にできなかったのです。こうして書いてみて、私は古い話、とは思えません。いままだ、震災と闘っているひとはたくさんいるのです。(続く)
去る6月4日に、『あした花咲くネット』が参加している「被災地遠隔支援ネットワーク」の発起人代表、吉村うさぎさんが大阪から東京に来られる機会があり、各地で講演をしていただきました。
かねてから被災地支援を展開している、平塚のママさんたちのネットワークに、3月のイベントに引き続きご協力をいただき、このイベントの中で「親子の防災対策」についての講演を入れ込んでいただきました。
うさぎさんは堺のO157集団食中毒以前から、災害、防災対策に関わられ、阪神淡路、新潟中越などの大震災の支援もされてきています。もともと母子支援の専門家でもあるうさぎさんのお話は、具体的かつ大事なことを的確に説明してくださり、参加者からもたくさんの質問が出ていました。私自身、親子の防災対策というと、「子供をどう守るか」という視点しか持ち合わせていなかったのですが、今回の東日本のように、平日の昼、学校、職場、家庭など、家族がばらばらのときに被災する確率の方が高く、「子供がひとりでどう自分の身を守ることができるか」をにらんで子育てをしなければいけない、という話には、驚くとともに、大きく認識を改めるところとなりました。今後、もっとたくさんのところでさらに多くのお父さん、お母さんに、うさぎさんの話を聴いていただきたい、と切に思いました。
今回の平塚のイベントでは、遠隔支援ネットワークた連携をした大船渡の商工会さんあてに送るフリーズドライいちごの仕分け作業も参加の皆さんに手伝っていただきました。大人も子供も、アーチストも会社員も、うさぎさんも。そしてようやく今週、大船渡の皆さんにお届けすることができました。350袋!大阪のうさぎさんの声がけで、愛媛から神奈川を経由して、無事岩手へ。ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございます。
6月19日に読売新聞(東朝)36面に、「あしたねっ!」について掲載していただきました。
記事の詳細をお読みになりたい場合はこちらで。
この「あした花咲くネット」の活動自体、まだまだお知らせをしなければいけないことをお伝えしきれていないので、この漫画のスタートについても、ご存知なかった方も多いかと思います。
もともと、この「あした花咲くネット」は、大阪のNPO青少年育成審議会の吉村うさぎ代表の声がけで行っている被災地の「遠隔支援ネットワーク」に賛同し、特にうさぎさんの「被災地の支援は、長くかかる。決して一時の思いつきや行動だけではいけない」という話に深く感じ入り、ウェブ上で復興支援に関わる情報を発信し続けることもひとつの支援であると考え、始めたものです。
もうひとつ、この長期的な支援は、自分が『今』できることをする、ということも大事だと考えていましたので、当初からこのネットワークに参加している漫画家の此花あかりさんが、漫画を描こう、と言ってくださったことは、ひとつの大きなきっかけでした。あかりさんは10年描く、とおっしゃっています。だからこれによって、いやでもこのネットワークを続けなければなりません(笑)。
ということで、まだまだこのネットワークは始まったばかり。もちろん、被災地復興の支援も、もしかするとまだスタートすらできていないかもしれません。
ただ、今の気持ちを忘れず、先につながることを願って、この「あしたねっ!」の家族のあしたも見守ってくださいね。
まだご覧になっていない方はこちらで。是非お読みください。
「僕」は小学5年生。
父さんと母さんと妹の4人暮らし。
妹が、犬を飼いたいって言いだした翌日。
大きな地震があった。
もう、妹は犬のことなんか言いだせないでいる・・・。
どこにでもいる「僕」の成長物語。震災後の“あした”へ。
隔週連載漫画、第1話公開しました。
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