去る、ほんとに去ってしまいましたが、8月9から11日、でんでらキャラバンの「月組」が宮城県の被災地を回りました。あした花咲くネットの京ヶ島も一員として参加してきました。
5月のでんでらは、おおたか静流さん、大友剛さん、という音楽家集団、かつ、テレビでもおなじみの”スター!”ですので、「星組」です。
でも今回は「からだ隊」。整体師、アロマセラピスト(わたし)、子どもとお遊びスペシャリスト、そして書道家の女性4名。ん?なぜ書道でからだ?それはのちほど。でも、スター軍団ではありませんし、ひっそりと回る私たちにふさわしい月組の名。時折りしも14日の満月に向かうときでもありましたので、大きなもう少しでまあるくなる月の下を回ってきた、ということです。
前置きはさておき。実際の現地でのことを書きます。
初日は鳴子温泉の仙庄館という温泉ホテルでの活動です。ここは、町ごとすべてが流されたことでいまや全国知らない人はいない「南三陸町」の方たちの避難先です。会議室とも宴会場とも言えるお部屋をひとつくださって、アロマや整体できますよ~と声をかけていただきました。最初少しずつ覗いていらっしゃったのですが、やった方がよかったよ~と他の方に伝えてくださり。結局予定を1時間ほどオーバーしてやらせていただきました。
海の町の人達が、町がなくなってしまったので、山の中で生活しています。
そのことだけで衝撃でした。私も海を見て暮らしてますが、明日家に帰れないで、山の中での生活が待っているとしたら。想像ができません。
でも、私のそこでの任務は、手と手を触れるハンドマッサージ。1対1で、小学生からおじいちゃんおばあちゃんまで手を握っていれば、それはそれはたくさんのお話が繰り広げられました。
おばあちゃんに、指輪はずしてここにおいて、オイルでマッサージするから、と言ったら、「みーんな流されたから、そのときしてたこれしか残ってないんだ、指輪。いーっぱいもってたんだ。お父さんに買ってもらったもんばかりだけどね。たーくさんあった着物も宝石も、これは誰にあげようって考えてたのに、なーんもなくなっちゃったよ。」
ここは、避難所です。でも、温泉があって、3食旅館の美味しいお食事が出てきます。ここのおかみさんがいいひとなんだよー、ほんとにありがたいよ。と、皆さん口を揃えておっしゃっていました。
でもここは避難所です。私たちが行ったときはすでに仮設住宅が決まって半数近くが出られたあとでした。私たちが行った翌日には、また多くの方が仮設住宅に移動するとのことでした。避難所というところはずっと住むところではありません。でもこれまで知らなかった人とひとつのコミュニティを作りますが、時間経過でまた別れが訪れます。それでもここでの交流で、穏やかな毎日を少しずつでも取り戻したことでしょう。そして、次に行くところは仮設住宅です。またそこでもコミュニティができますが、またみなばらばらになる日が来ます。町が流された人達は、これから何年も居場所を定められずに、移動し続ければならないのですね。
でも、辛い現実を忘れさせるような鳴子ののどかな風景と、そこの本当にあたたかな人の力は、南三陸の方たちの心を癒したことと思います。なにしろ、東京から行った私たちでさえ、心温かく癒されてしまった鳴子温泉なのですから。
8月、昔の話、とお思いでしょうか?でも、これまで文字にできなかったのです。こうして書いてみて、私は古い話、とは思えません。いままだ、震災と闘っているひとはたくさんいるのです。(続く)
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